浜松よさこい史
(第3回までの浜松よさこいの軌跡について語ったものです)
なぜ
浜松よさこい祭り?
約10年間、大学などで浜松を離れて生活していた。時々帰ってくる度に様変わりし、どんどん近代的になっていくのは良いのだが、以前感じた賑やかさのようなものが弱まってきているような気がした。東京という大都会を経験したせいでもあるかもしれないが、街を歩けば必ず誰かしらの知り合いに遭遇するといったケースは到底無い。
ニチイ、長崎屋、西武、丸井、そして松菱も街中から姿を消し、郊外に大型スーパーが増加しつつある。移動手段が車中心の日常社会である故に歪めない状況なのだろうか。
高校時代の友人も、大学に進学したっきりで、浜松に就職した者はほとんどいない。
私は浜松市民なので、中高生の頃、「街に行ってくるね〜」などと親に言って、バスや自転車でよく中心街へワクワクして出かけたものだ。浜北市や細江町、雄踏町の友人は、このような時「浜松に行く」と表現していたらしい。つまり、浜松市の周辺地域の人々にとっても、浜松の街は魅力有るものでなければならない。人の集う街。活気あふれる街になってほしい。浜松文芸大学もでき、学生の街としても機能する、若く楽しい街になってほしい。「俺も帰って来た。みんな帰って来い。やぱり浜松は最高だよ〜!」
というメッセージを込めて、この祭りは始まった。同年代の若者にもっと表に来て欲しい。今の中高生にも、必ず浜松に帰ってきて欲しい。更に、他地域の人がすみたがる町。元気な町。魅力的な町に・・・。
21世紀の幕開けと共に始まった新しい祭り。
浜松とその周辺地域の歴史・文化を活かした、若者が中心となって引っ張っていく祭り。
老若男女が自由に参加できるエネルギッシュな祭り。
1996年、YOSAKOIソーラン祭りに初めて参加し、すすきの(札幌)のネオンの元で踊った時、「これが我が町、浜松のネオンだったらもっと気分がいいだろうな〜」と思った。あの時に浮かんだ光景を、今現在も追い求めている。初めてYOSAKOIソーラン祭りを見てしまった頃の、私の3大趣味は、バンド・ダンス・祭りであった。その3つを、心地よく網羅したkの祭りは、当時の私にとっては非常に衝撃的であった。「なぜ、もっと早く出会えなかったのか」と。
◇浜松には、ヤマハ、カワイ、ローランドと、世界的にも有名な楽器メーカーが3つもある。言わずと知れた楽器の町だ。様々なアレンジの曲が毎年競う様に更新され、生演奏が主体の祭りになっていけば、方向性は問題ないだろう。
◇浜松のダンスフィールドは非常に熱い。よさこい祭りに似た、屋外でのダンスイベントも多く、そのレベルもなかなかのものだ。よさこいも、躍りのレベルがここ近年で急激に上がっているので、既存のダンサー達にも火がつけば、浜松のよさこいシーンは全国的にもかなり熱いものになる筈である。
◇毎年、5月のゴールデンウィークに「浜松祭り」という浜松を代表する祭りがある。私も、「浜松人は浜松祭りの為に生きている」と自負している。飲めや食えやで大騒ぎの祭りである。それが故でか、浜松人は、お祭りの好きな人種であるように思えてならない。
この浜松祭りのノリとパワーは、浜松だけに留めておくには惜しい。日本全国に広まりつつあるよさこい文化が、この浜松の祭り文化と融合されれば、更なるパワーが生み出されるのではないだろうか。
高知県の「よさこい国体」。このネーミングは、我々浜松よさこい実行委員会としては、とても良い宣伝材料になっている。更に、翌年の2003年には、ここ静岡県に「NEW!!わかふじ国体」がやってくる。浜松市も、バスケットやラグビーなど9競技が開催される。そしてさらに2004年には、「浜名湖園芸博」も開催される。そんな機運にも便乗し、益々この浜松よさこい祭も盛り上がっていくのではないだろうか、と期待している。
浜松よさこい祭りには、「若者がもっと表に出てきて欲しい。」「浜松の良いところを全国に発信したい。」などの願いがある。浜松祭りのノリや、うなぎ、すっぽん、みかん、茶などの特産品。また、楽器、オートバイ、繊維などの産業。音楽の町、もてなしの街、浜松。これらを、もっとPRすることにより、地元や周辺地域の人々にも、浜松をもっと好きになってもらいたいし、中心市街地のみならず、地域全体に活気と賑わいを創出したいと考える。ゆくゆくは、様々なアレンジの「やら舞歌」や「茶っきり節」、「浜松祭りのテーマ曲」が、生演奏され、鳴子以外の楽器をも手に持ち、演舞するといった、浜松のよさこいスタイルを徐々に形成していきたいと考えている。浜松祭りに次ぐ、浜松を代表する祭りになればと、願っている。
そこで、大きな祭りにしていくにあたっての問題点の1つには、浜松に有名な民謡が無い事があげられる。
例えば、高知の「よさこい祭り」では,曲中によさこい節のメロディーが入ってさえいれば、あとは鳴子を以って踊ること以外は自由である。
また、札幌の「YOSAKOIソーラン祭り」では、曲中にソーラン節の一節が入っていれば、鳴子を持たなくて良い程に自由である。
YOSAKOIソーラン祭りがあるほどにまで成長した理由の一つに、ロック調ソーラン節が、一般人に対して非常に強いインパクトを与えたのではないかと私は思う。元々の力強い曲調や威勢の良い掛け声に加え、ビート感と激しい躍りに観客が思わず見入ってしまうのも無理は無い。
では、浜松の場合はどうだろう。有名な民謡としてまず挙げられるのは「茶っきり節」である。しかし、浜松=茶、というイメージは薄い。磐田や掛川、菊川方面のチームが茶っきり節のアレンジで参加してもらえるなら大いに結構ではあるが、浜松のチームの場合は、悪くないが最適とは言えない。
続いて挙げられるのが、浜松祭りのラッパのメロディーである。これは、代表的な曲として今後、様々なアレンジが期待される。しかし、4音(ソ・ド・ミ・ソ)で構成されたメロディーな為、アレンジの幅が限られてしまう。
他にも、「浜松まつり唄」「凧上げ音頭」などもあるが、全くもって知名度が低い。 そこで挙がったのが「やら舞歌」である。歴史的には浅いが、地域に根ざした曲の一つと言えよう。
やら舞歌は、毎年秋の祭りで踊られるが、観客も多く雰囲気もかなり良い。メロディラインや歌詞等、とても元気になれる良い曲だ。浜松市としても、もっともっと盛り上げたいとのこと。
しかし、現在は対象年齢がかなり高く、一般人への浸透度は、良いとは言えない。 若者に受け入れ易くするには自由によさこいの形式で広めるのは有効な手段と思われる。
もし、自由に使えるならば、元々軽快で明るく春らしい曲なので、3月の浜松よさこい祭りを代表する曲とするには最適である。地元チームを今後発掘し、地域に定着した祭りにしていく為にも、やら舞歌は必要不可欠である。 そして、今回の「第3回浜松祭り」では、浜松版の総踊りを計画している。曲中には勿論「やら舞歌」と「浜松祭りのテーマ」をアレンジしたものを組み込み、全国から集まった踊り子達に一緒になってもらうというものである。浜松の踊り子へは課題曲のような形で覚えてもらい、更に、一般人の飛び入り参加も可能なようにしたいと考えている。
ホップ!!
第1回浜松よさこい祭り
【2001年3月19日(月)20(火・祝)】
その正月に舞い込んだ「東海道400年祭」の補助金制度の話から始まった。非常に急ではあったが、この機会を逃す手はない。思い立ったが吉日!というわけで、大至急、全国の知り合いのよさこいチームに声を掛けて、13チーム集まった。
新事業というこもあり、許可申請や話し合い等なかなか思う様に事が進まず、結局本妻の会場は2会場となってしまった。経験・情報・資金・人手、何もなく、準備不足・宣伝不足のまま祭りは終わった。実績を作る事ができたのは良いが、少しでも多くの人に見てもらいたい、「よさこい」というものを知ってもらいたい。という願いは叶わなかった。観客が少なかったので本意ではないが、チーム同士の交流ができ、踊り子が自ら盛り上がって大いに楽しんで帰っていったことは、とても嬉しく思う。
ステップ!!
第2回浜松よさこい祭り
【2002年3月20日(水)21(木・祝)】
一度は崩壊しかけた組織だったが、浜松市の街中活性化イベント支援事業にエントリーすることができ、前回の教訓を生かして心機一転、今度こそが第1回目の祭りであるかのように普及活動にも従事した。参加チームは26チーム(約500人)。北は北海道から、南は兵庫県までの学生中心のチームが主に集まった。土日ではなく、週半ばの祝日であったことが、社会人が参加できない大きな原因であった。浜松街中の人の流れも、やはり土日ほどは望めず、更に加えて生憎の悪天候だった事が、非常に悔やまれる。期待していた観客動員数も残念な結果となってしまった。しかし、イベントとしては、規模も拡大し、念願の鍛治町会場でも演舞ができ、周囲や地元の反応もまずまず良かったのではないだろうか。
ジャンプ!!
第3回浜松よさこい祭りは?
観客を動員する為、そして地域に根ざした安定した祭りにする為には、地元チームの開拓が必要不可欠と考える。そして、今回見込んでいる規模を考えると、組織の拡大や行政のバックアップも必要であろう。
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